はじめまして。
コーチ・カウンセラーの加藤晃由です。

はじめまして。
コーチ・カウンセラーの 加藤晃由(かとう てるよし) です。
「人のために頑張りすぎて、自分がわからなくなっている人」が、自分らしさを取り戻せるよう、コーチングとカウンセリングの両面からサポートしています。
私自身、母子家庭で育ち、自分の気持ちを押し殺しながら、人に合わせることが当たり前の生き方をしてきました。
「良い人でいなければ」「頑張らなければ」と、自分を奮い立たせながらも、いつしか“自分の本音”がわからなくなっていたのです。
さらに 大事故で障がいを負い、社会復帰を目指して仕事に打ち込みましたが、
どれだけ努力しても評価されず、「本当の自分を生きていない」という違和感を抱えながら過ごしていました。
しかし、悩んだときに相談できる人がいない。
それが、私にとって一番の苦しみでした。
1人でもいい、いっしょに向き合ってくれる人がほしい――
そんな想いを抱えていたときに出会った カウンセリング が、私の人生を大きく変えるきっかけとなりました。
このプロフィールでは、私がどのように“生き方”を取り戻し、コーチ・カウンセラーとして活動するようになったのかをお伝えしています。
同じように生きづらさを抱える方に、希望のヒントを届けられたら嬉しいです。
寂しいことが当たり前 鍵っ子だった幼少期

私は母子家庭で育ち、いわゆる「鍵っ子」でした。
母は仕事でいつも帰りが遅く、余裕がなくて疲れ切っていました。
そんな母に心配をかけてはいけないと思い、学校でいじめられたり先生に怒られたりしても、
心にふたをして何事もないように振る舞っていました。
感情が収まらないときは、いらない紙をくしゃくしゃに丸めて、必死に自分を押し殺す日々。そんな毎日が続くうちに、いつしか一人でいることが苦ではなくなっていったのかもしれません。寂しさが当たり前になるのと引き換えに、私は自分の気持ちを言葉にできなくなっていきました。
部活に打ち込むことで悩みをけちらす中学時代

中学校に入学する頃、優しかった兄が悩みを抱え、不登校になりました。
兄は「良い子」として周囲からも可愛がられていた反面、新しい環境に馴染めず、人知れず苦しんでいたようです。
兄と同じ中高一貫校に入学した私は、剣道部に入部し、日々の稽古に打ち込みました。その頃、母や親戚は兄のために先生との面談や通院を繰り返しており、周囲の意識はいつも兄に向けられていました。
そんな状況の中、私は周囲から「いいか、お前がしっかりするんだ…」と言われることが多くなりました。実は私自身もクラスメイトからのいじめに遭っていたのですが「僕がしっかりしなきゃ」という思いが強く、誰にも弱音を吐くことができませんでした。
ただ必死に剣道の練習に没頭し、泥のように眠ってすべてを忘れること。それが、当時の私にとって唯一の救いであり、ストレスをやり過ごす方法だったのかもしれません。
頼られるけど自分の本音がわからない青年期

中学、高校と剣道部に所属していましたが、決して勉強が得意なわけでも、剣道が強くてレギュラーだったわけでもありません。
それでも、地道に活動を続けるうちに、不思議と周囲から頼られる存在になっていきました。
もともと大勢の中で目立つことは苦手でしたが、一対一で相談を受けたり、気性の激しい部員たちの間で板挟みになりながら場を繋いだりすることが、いつの間にか私の役割になっていました。
大学でも剣道を続けましたが、やはりレギュラーではありませんでした。
それにもかかわらず、私は副部長に抜擢されました。
個性の強い仲間や部員たちから相談を受け、彼らの悩みを受け止める機会は、学年が上がるごとに増えていきました。
振り返れば、幼い頃から自分の感情にふたをして生きてきた経験が、図らずも「人の話に共感し、深く聞き入る」という力に変わっていたのかもしれません。
相手の悩みに寄り添い、一緒に考えることは、私にとってごく自然なことになっていました。
しかし、人に頼られる一方で、私は自分自身の「本音」が分からなくなっていることにも気づき始めていました。
「いろんな考え方があっていい」と他者を肯定すればするほど、自分はどうしたいのかという核の部分が、霧に包まれていくような感覚です。
時には、対立する双方の意見に耳を傾けているうちに、「それで、お前自身はどうしたいんだ?」と問われ、答えに詰まってドキリとしたこともありました。
他人の心に寄り添うことができても、自分の心にはまだ鍵がかかったままだったのかもしれません。
死に直面し社会人としてイヤというほど葛藤を味わう

大学を卒業して社会人となり、数年が経った頃のことでした。実家から自宅への帰宅途中に、私は横浜ベイブリッジを封鎖してしまうほどの大きな事故を起こしてしまいました。
走行中に強風にあおられて自損事故を起こし、命からがら車外へ脱出したところを、後続車にはねられてしまったのです。生死を彷徨うほどの大事故でした。
一命は取り留めたものの、左足の外傷がひどく、数年間にわたって医師からは切断を勧められ続けました。しかし、新薬の治験者として手術を受けたことで、かろうじて切断という最悪の事態は免れることができました。
その後、数年に及ぶ入院生活を経て退院しましたが、左足には障害が残りました。それでも、30歳を目前にしてようやく社会復帰を果たし、仕事に就くことができたのです。
今日まで支えてくれた家族、友人、そして医療スタッフの方々への感謝を胸に、「泣き言を言う暇があるなら、ハンデを負った分だけ人一倍頑張るしかない」と、自分を鼓舞し続けました。
デザイン事務所のデスクワークから始まり、リハビリスタッフの助手を数年務めた後、結婚。30代後半で子供を授かったことを機に、より安定した環境を求めて、障害者枠での営業事務職へと転職しました。
しかし、入社して数年が経った頃、2008年のリーマン・ショックが世界を襲います。その影響は大きく、世間の風当たりが強まる中で、会社での私の存在や仕事は適正に評価されなくなっていきました。

どれほどがむしゃらに頑張っても、認められない。
その悪循環はやがて強い劣等感へと変わり、私は「自分の意見など通る場所ではないのだ」と心を閉ざすようになりました。
「自分を出してはいけない」
「他人の期待に合わせて、他人軸でいなければ生き残れない」
周囲もまた、自分を演じながら生きているように見えました。「それが社会というものなんだ」と自分に言い聞かせ、私はまた、自分の本音に深いふたをしてしまったのです。
仕事も家庭生活も限界に…
人生の立て直しを決意

子供が小学校に上がる頃、私の心身は仕事において限界を迎えていました。
「自分らしく生きるにはどうすればいいのか」という問いに向き合おうとするほど、妻との意見の衝突が目立つようになり、次第に家の中から会話が消えていきました。
積み重なったすれ違いの末、妻から離婚を切り出されました。
それは、お互いの将来を考えての結論でした。
日々、喧嘩を繰り返す姿を子供に見せ続けるよりも、それぞれが前を向いて歩んでいこう。
そう決意して、私たちは別々の道を歩み始めました。
離婚から数年。コロナ禍という社会的な混乱に見舞われながらも、私は自分の内側にある「答え」を出せないまま、営業事務として10年の月日を重ねていました。
しかし、時代の移り変わりとともに、社内の体制も大きく様変わりしていきました。
その変化を目の当たりにする中で、私の心にひとつの強い思いが沸き上がってきました。
「このままではなく、自分自身を根本から立て直したい」
その一念が、長年勤めた会社を退職するという大きな決断へと私を突き動かしたのです。
人生を変えたコーチ・カウンセラーとの出会い

会社を退職した私は、自分の強みを活かして「人と向き合う仕事」に就くことを決めました。そして人に向き合えるようになるためにまず自分と向き合うことを始めたのです。
多くの社会人がそうであるように、私もまた、周囲に歩調を合わせることに必死でした。自分自身と向き合うことなど、人生の大きな決断を下す時以外、ほとんどありませんでした。
あるカウンセラーの方とお会いした時のことです。当時の私は、「成功したい」といった表面的な望みは口にできても、「本当の自分が何を感じ、どうしたいのか」という問いに素直になって答えを出せずにいました。 その時、カウンセラーの方が放った言葉に、私は息を呑みました。
「自分を生きるなら、良い人にはならないでくださいね。
良い人というのは、 どうでもいい人、なんです」
その言葉は私の胸に深く突き刺さりました、まさに図星だったのです。
周囲に合わせて無難な選択をすることが正解だと信じ、自分を出すことを遠慮して、都合の良い「どうでもいい人」を演じ続けてきた。
自分を押し殺し、自分を出すことを諦めていた…。
それも、ずっと昔から。
「努力の方向性が違っていたのだ」
そう気づいた瞬間、私はようやく、本当の自分を知るためのスタート地点に立つことができました。
それから私は、長年閉ざしていた重い心のふたを、少しずつ開け始めました。 忘れていた幼少期の記憶をたどり、初めて「あの時はつらかった」と言葉にできました。
生死を彷徨ったあの事故の、言葉にできないほどの苦しみも、ようやく打ち明けることができました。
そして、私だけでなく、そばで見守ってくれていた家族もまた、本当に辛かったのだということに、ようやく気づくことができたのです。
感情を外に出すことで、私は少しずつ「素の自分」を取り戻していきました。
「目の前の環境を変えよう」ともがいていた自分が、実は間違っていたのだと気づきました。自分と向き合ううちに、自分自身を大切に扱えるようになっていったのです。
「つらい時はつらいと感じていい。嫌な時は嫌と言っていい。泣きたい時は泣けばいい」
そうやって自分の感情を許せるようになると、以前抱いていた「こんな自分は恥ずかしい」「嫌われる」という恐怖が消えていきました。
周囲から掛けてもらう言葉は、決して同情などではなく、温かな「友情」なのだと素直に受け取れるようになったのです。
「必要なものは、すべて自分の中にあったのだ」
自分がわかるようになると、不思議と人の気持ちも深く理解できるようになり、私の伝える言葉に「ありがとう」が返ってくることが多くなりました。
この壮絶な経験があったからこそ、私は自分の歩みを糧にして、かつての私のように自分を押し殺して生きている人々に寄り添いたい。
相手に寄り添うことで伝わる感謝を感じたとき、私はコーチ・カウンセラーとして目の前の人に寄り添うことを心から望んでいるのだと実感したのです。
たくさんの人に向き合ったからこそ本当の自分を生きられるようになった

「自分軸」というものは、自分自身を深く知ることからしか生まれません。
自分は何を大切にし、何に幸せを感じるのか。そして、本当はどうなりたいのか——。
皮肉なことに、私たちは他人のことにはよく気づき、的確なアドバイスもできるのに、自分のこととなると一番わからなくなってしまうものです。
かつての私がそうであったように、自分の姿は信頼できる人に打ち明け、鏡になってもらわなければ、本当の意味で見えてくることはありません。
私が「良い人は、どうでもいい人なんだ」という言葉に衝撃を受け、自分を取り戻したように…。
人には、優れているところもあれば、足りないところもあります。
それは決して「良い・悪い」という二元論ではありません。
自分を高めたいのであれば、優れている部分を「コーチング」で伸ばし、足りない部分は「カウンセリング」で癒やし、補っていく。
私は、自分を立て直すためにはその両方が必要だと考えています。
素の自分をさらけ出せるようになったことで、私は自分の光も影も、丸ごと受け入れられるようになりました。
今、私はようやく「本当の自分」を生きているという実感の中にいます。
家庭では、いつしか家族が「チーム加藤」と呼んでくれるようになり、温かな絆を取り戻すことができました。
また、自分と向き合い続けた経験を伝えていく中で、今では「あなたにお願いしたい」と相談をいただける機会も増えました。
誰かのお役に立てることが、今の私の何よりのやりがいです。
自分にとって本当に大切なものは何か。
それを知るためには、自分の心と向き合うわずかな時間と、素直になれる温かい空間、そして、踏み出すためのほんの少しの勇気が必要です。
本当の自分と向き合い、自分を大好きになれたからこそ、私は私らしく生きられるようになりました。
もしあなたがかつての私と同じように、暗闇の中で自分を見失っているのなら、今度は私が「鏡」としてあなたに寄り添っていきたいと思います。
それが、今の私の心からの願いです。
